ちょっと毛色の違う多様性の発表をします
僕は日本で育ち渡米し、政治的にも左よりで、また高校生の娘もいるので、多様性というテーマについては肯定的に考えてきました。これを読んでいる男性諸氏にもそういう人はたくさんおられるのではないでしょうか。しかし、それが自分の行動に何か繋がっていたかと言うと、そうではありませんでした。自分はみんなに分け隔てなく接しているし、これでいいはず。どこか観念的な問題。進歩人の基礎的な知的嗜み。
でもそうなんでしょうか?
そんな中、会社のコミュニティ・チームの取り組みの一環として多様性にフォーカスしていこうという提案がチームの中から挙がります。僕は、しかし上長としてそれに賛成することが出来なかった。他にもっと重要度の高い取り組みがたくさんあるように思えたからです。
その時初めて、少数派を取り囲む息苦しさ、見えない壁や天井というのは、「女は使えない」とか「アジア人は自分の国に帰れ」というような積極的な悪意や偏見から構成されているのではなく、僕のように自分を普通や、多様性の推進派と思っている人達が、主観的には合理的に判断を積み上げた結果、真綿のように何かが絞められていく、そうしたものだと気がつきました。
自分は多様性の賛成派のつもりだったのに、実はむしろ壁を作る側だった。ショックでした。
そして、その事について考えていった結果、多様性というのは、性差や人種差といった広く知られている軸だけではないと思うようになりました。むしろ、そういう手垢のついていない職種や熟練度といった別な多様性の軸について考えることで、社会人の多くが自分のそばで解決してきた問題も多様性の問題として捉える事ができる。その視点が、前述のようなより難しい多様性の軸について考える手掛かりになるのでは、と思うようになりました。
数学でいうところの、一般化、というやつです。
これをずっと発信したいと思っていたのですが、今回、ハッカーライフラボのシリーズの一環として、登壇出来ることになりました。
多様性というテーマにあんまり普段は興味を持っていない、特に僕と同じような技術系のバックグラウンドの人や管理者・経営者の人にぜひ来てもらいたいと思っています。普通の多様性の話とは違った、ちょっと毛色の変わった視点の方が届く・刺さる人がいるかもしれないから。特定の多様性の軸を推進するだけじゃなくて、一般的な多様性を推進していく、それが、社会全体の生きやすさに結びつくと思うんです。生きづらさ・疎外感みたいなものは誰だって皆が抱えている事じゃないですか。
この一人ひとりの人生の生きづらさに寄り添う優しさ、それが多様性問題の本質だと思います。だから、一般化して抽象化することで、その一人ひとりに共感する姿勢が失われては元も子もない。
高野さんの、ご自身の半生を振り返る発表を何かの機会に目にして、この「生きづらさ」をこれほど克明に、優しく美しく描写した発表はないなと思いました。自分の事のように聞く人にすっと入ってくるんです。
そういう極めて個人的で具体的で共感できる高野さんのような視点と、一般化されて多数派からの視点を並べることが出来たら、その二つが実はどういう風に繋がっているのか対比させる事ができるかもしれないなと思いました。
だから、今回の発表は高野さんと僕の二人三脚です。
今までの多様性の話とはちょっと違う話が出来るはず。だから今までの話が刺さらなかった人に聞いてほしい。