コミッタになるには

id:cactusmanさんのブログ経由で一連のコミッタ関係の面白いやりとりを発見しました。

それで、なんで自分のような大したことない人間をコミッタにしたのかは、聞いてないので確かなことは言えません。

http://d.hatena.ne.jp/cactusman/20080806

もうお話は収束しちゃったみたいなので、今更感もありますが、僕の感想を。

と指摘されている通りで、「貢献してるんだからコミッタになりたい!」ということはもちろん主張していいことだと思います。「貢献」という言葉の意味が「不具合パッチ程度のもの」だとすると、僕の尺度からするとそれはコミッタになるための条件としては足りないと思っているので、rejectされるかな、と。もちろんこの尺度はOSSによって違うので答えはないだろうけど、自分の意見としては、contributionのレベルに応じてコミッタになれるかどうかが決定されるプロセスがちゃんとあったほうがいいのではないかな、ということを言いたかっただけです。

http://www.eisbahn.jp/yoichiro/2008/08/post_214.html

ほとんどのプロジェクトでは「船頭多くして船山に登る」問題よりも、開発者の人手が足りない方が圧倒的に大きな問題です。なので、僕がOSSプロジェクトを運営する時には、真っ当なパッチを送ってくれた人なら迷わずコミッターにならないか声を掛けます。他にも、新しい機能を要望しているだけの人にも「それ、自分で書いてみませんか?」と誘ったりもします。兎に角、あの手この手で開発者を増やそうといつも考えています。


パッチを書いて送ってくる人というのは、少なくともコードをチェックアウトし、ビルドの仕方を学び、変更したいところを探しだし、svn diffコマンドを使えるところまでパスしているわけですから、これはもう世の中の平均の開発者の水準を十分に上回っているといえるでしょう。リスクという点を考えても、新参の開発者が困ったちゃんだったら、それを見つけた時点で丁重にお引き取り願ってもいいわけです。リスクとメリットを天秤にかければ、明らかにメリットが上回っていると思います。この「みんなコミットしようぜ」作戦で今まで失敗したことはありません。ぜひお勧めです。


大手のオープンソースプロジェクトでは、異なる理由でこのようなオープンなポリシーは難しくなる場合があるので、敷居が高くなります。例えば、Apacheではコミッターは著作権をASFに譲渡する旨の契約書をASFと交わす必要があります。企業に勤めている場合には雇用者の同意も提出しなくてはありません。このような理由から誰でもコミットさせるというのは現実的ではなくなります。Apacheくらい有名になると、コミッターになりたい人が増えるので、それほど熱心にコミッタを探さなくても良い、というのも敷居を高く設定する動機の一つになります。


また、政治的な問題で意図的に敷居を高く設定する場合もあります。例えば、SVNKitというライブラリでは、特定の企業がプロジェクトの方針に関するコントロールを維持するために、外部からはコミッタを募っていません。こうした例は他にもたくさんありますし、ここまでいかなくてもJBossGlassFishのように大きなプロジェクトでは、他の企業からの組織的な乗っ取りを防ぐために、コミッタの敷居を十分に高く設定しておく必要があります。


こうした大手のプロジェクトの方がよく見えがちなので、OSSの標準はこうであると思う人が多いのかもしれませんし、小さなプロジェクトをスタートする人達は無意識のうちにこうした大手のモデルを真似してしまうことが多いようです。これは協力の促進を妨げるので、不幸な事だと思います。なので、ぜひ、世の中のFOSSプロジェクト運営者のみなさんはコミッタの敷居を下げてください。お願いします。


id:cactusmanさんにコミッターになりませんか、とお誘いしたのも、以上のような背景がありますし、僕としては誘って大正解だったと思います。日本での知名度が上がってきたのには、日本のコミッターの皆さんのおかげなのは間違いないので。